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私の人生のほとんどは脱毛症と一緒
読んでいただきありがとうございます。
全身脱毛症、うにこ(@uni413_com)です。
この記事では、私の今までの人生についてを、割と重めな感じでお話ししてます。
夫との馴れ初めはこちらから。
http://uni413.com/2017/06/naresome1/
私が初めて脱毛症になったのは、乳児の時だそうです。※母談
学生時代、円形脱毛症を繰り返し、かれこれ10年近く。
この記事を書いている2022.05現在も、汎発性脱毛症(全身)です。
髪は全部抜けたり、一部だけ生えたり。
生えてきたと思ったらまた抜ける。
まつ毛は上まぶただけにあったり、目尻だけにあったり。
鼻毛は片穴だけあったり、なかったり。といった具合に、謎の分布加減(笑)
ストレスで円脱になったなんて話は身近でも割と耳にしますね。
私が自覚する頃に悩みはじめたきっかけも円形脱毛症でした。
10円ハゲ?ストレスじゃないの?w そのうち治るでしょ(´ω`)
なんて思うかもしれませんが、治る人もいれば、何度も繰り返す人もいるし、悪化する人もいます。
ましてや思春期の敏感な時期の当人にしてみれば絶望でしかなかった。
誰かが話して笑ってるだけで、話している内容は自分のことではないかもしれないのに、「自分のこと言ってるのかな」と、被害妄想。
常に常にマイナス思考な私でした。
今は割と開き直って、ウィッグでそれなりに普通の生活をしていますが
そこに至るまではもう、そりゃたくさ〜〜〜〜んの嫌な想いをしてきました。
幼少時
生まれた時はまるで猿のようで、笑っちゃうくらいの毛があったそうです。
発症したのは、1歳にもならないころ。
短期間のうちに坊主に抜け落ちて、あちこちの病院へ。
でもどこへ行っても「幼すぎて調べようがない、検査も薬も大人向けのものは強すぎるから様子を見るしかない」と言われたそうで・・・
結局何もできず、時間が経ったら生えてきたらしい。
それを聞いて私が思ったのは、昔の田舎の皮膚科に脱毛症治療のスペシャリストがいるわけでもないし、そうなるわなぁってこと。
現代の医療技術をもってしても、大人ですら治療が確約されてるわけではないので当然の結果というか。
そして再発
小学校低学年の頃、いわゆる円形脱毛症。
おでこの上や、こめかみの斜め上あたりに、10円ハゲが1~2か所出来て、毎日ヘアバンドをして学校行ってました。
お風呂上りに使うような、ゴムが入ってる幅広のやつです。こんな感じの。
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小さい頃はそれで良かったのです。
周りも自分もちびっこで、誰も気にしないから。
でも、プールの授業だけは、水泳帽かぶると地肌が見えるのが嫌で毎回休んでました。
高学年の時の担任はとても理解のある先生で、今でもお名前とお顔が忘れられません。
危機感を感じた中学時代
「なんでいつもヘアバンドしてるの?」
「何でプール入らないの?」
さすが中学生。色々と敏感に気にし始める。
勘付かれて、ちゃかされたりとか、いじめって程ではなかったけれど色々嫌な目にあった。
うちの学校はいじめや、先輩後輩の上下関係が厳しく、それが原因で保健室登校をする子が何人かいるようなところでした。
私も一部の男子に冷やかされたり、上の学年の人からわざと聞こえるような悪口を言われたりしました。
それでも私はクラスで授業を受けれていたし、仲のいい友達もいて、登校できてたほうかなと思います。
私には、小学校から一緒の、仲の良い友達が3人いましたが、カミングアウトはしてません。してない、というかできなかった。
友達はきっといつの間にか気づいていたし、それでも気にしてなかったのかもしれないけど、私は友達に「髪がないこと」を一度も言えませんでした。
恥ずかしい
嫌われたらどうしよう
わかってほしいけど、どうやって切り出せばいいんだろう
もう気づかれてるのを分かってて、今更どう言えばいいのかと悩み続け
学校行きたくない日が増え、自然と中3の頃には欠席が増えました。
今日こそは打ち明けようと思っては、怖気付いて言うことができず、結局卒業式が終わっても言えずじまいでした。
これは昔から私の悪いところで、うだうだ悩んで結局行動できず後悔してしまう。嫌な性格。
高校時代
「成績は良いけれど、欠席が多いから推薦は厳しい」という理由で、高校推薦入試を諦める。
一般入試を受け、地元で2番目の進学校へ進みました。
髪染、バイト、当時大流行だったルーズソックスは禁止の厳しい校則。
で、
高校に進学してもヘアバンドしてるわたし・・・。
正直めっちゃ浮いてた。
何も事情を知らない他のクラスの先生に、外せって怒られたこともあった。
中学の時の友達の内の一人とは、高校も学科も一緒(クラスは隣)でした。
私は小学校3年の時に、親の離婚の都合で一度転校しているのですが、高校ではその時の同級生とも再会したりで・・・
(年賀状等のやりとりは何回かあったけど、会ってはいなかった)
再会した友達「・・・なんでヘアバンドしてるの?」
そりゃ聞くよね。笑
校則違反って分かってても髪染めたり、怒られない程度に化粧したり、スカート短くしたりするような女子高校生の世界で、ダサダサのヘアバンドですもん。
つらくて、人に会うのが嫌で、人の目が怖くて、学校に行けなくなりました。
興味があって自分で選んだ学科に進学したから、勉強はしたい。
でも、誰にも会いたくない。
友達に髪のことを話せないまま、毎日会うのが苦痛で。
中学の時と同じことを繰り返しました。
嫌われる前に、
いじめられる前に、
行くのやめたい。
学校行きたくない。
結論から言うと、そのときの友達全員にも打ち明けられないまま今に至っています。
それ以降、連絡は取っていません。
中学の友達も、高校の友達も、
知ってたけど黙って一緒にいてくれたんだと思う。
話しても、嫌われることは無かったと思う。
遅すぎるけど、今は、そう思える。
でも、当時のわたしは本当に臆病で、
怖くて、勇気がなくて言えなかった。
親が(出会い系とか詐欺の事件に敏感で)厳しくて携帯は持たせて貰えなかったので、担任や友達から家の電話に何回も連絡がきました。
一度も出なかった。
そのうち連絡も来なくなった。
そりゃね、別に私がいなくなったって友達は他にもいるだろうしね、とバカみたいに卑屈になって。
こうして私に友達は一人もいなくなりました。
そのまま登校拒否を続け、単位も取れず、当然進級は出来なくなり、自分の学力で進級できる別の学校へ転入することにしました。
登校拒否中
家にいると、誰の目も気にせず済んで精神的にラクだったからなのか、症状の悪化はしませんでした。
むしろヘアバンドしなくても平気なまでに復活。
病は気からってこういうこと???笑
アップヘアにすると見えちゃうな~ってところに点々と円形が出来たりはしましたが、自分としてはだいぶ良くなったなぁと喜んでいました。
・・・それでも、外には出たくない。
家では勉強したりゲームしたり自由に過ごして。
進級できなくてやめた学校が、地元では有名校だったし、公立だけど母子家庭の割にお金もかかってたので、親は全くいい顔しなかった。
このころから、何か文句を言われると「じゃあ何で普通に産んでくれなかったの!」などと親に当たったことが何回かありました。
まったく心に余裕が無かった。
せっかく制服・体育着・かばん・教材等、一から揃えて入学させたのに、1年も行かずに辞めてしまった最低な子供。
そりゃ母も怒りますよね。
当時はお金を稼ぐ大変さもわからなかったし、その有難さに気づけなかった。本当にごめん。
転校先で出来た、新しい友達が生涯の友達に
新しい学校で、新しい友達が1人できました。
このブログでは彼女のことを「Eちゃん」と呼ぶことにします。
でも残念なことに・・・当時のことをあまり覚えていない・・・。
担任の先生が紹介してくれたことがきっかけで、仲良くなりました。
合同体育?みたいな自由に好きなスポーツする授業で、一緒に卓球をしたのが最初だったような。
髪も生えてきていたし、ヘアバンドなしの素頭で難なく過ごせていた為、彼女には髪のことを特別打ち明けたりもせず、ごく普通の学校生活を送りました。
その学校で、私が唯一事情を話したのは担任の先生だけでした。
転校してきた理由と、また、抜けるかもしれない・・・という不安があった。
髪が抜けてから憂鬱な気持ちで話をしに行くよりも、事前に話しておいた方が自分としても楽に思えたので、先生には一番最初に話しました。
いつも頭の隅に
いつかまた抜けたら、中学の時の繰り返しになるのでは・・・
せっかくできた友達をまた失うかもしれない
という不安を抱えながら通学してました。
結論から言うと、Eちゃんに話すことは出来ました。
そして、なんと20年以上たった今も友達。
打ち明けたのは、卒業して何年かたって、遠くへ就職していた彼女がUターンしてきた時。
その頃には今と同じくらい全頭抜け落ちていて、ウィッグ生活だったので「実はこれウィッグなんだー」と。
お店でご飯を食べながらサラッとカミングアウトしました。
サラッと言えたけど、緊張はしてたと思う。
学生の時の私は、黒髪のおかっぱみたいなセミロング。
その日の私は前髪斜め分けの茶髪セミロング、のウェーブウィッグ。
「あ~!だからかぁ。昔と雰囲気違うと思ったー!」的なことを言われた気がします。
彼女は私に「髪の毛がなくても誰かに迷惑かけてるわけじゃないし、気にしなくていいじゃん!ウィッグかわいいよ!」って言ってくれた。
ウィッグをかぶることに、なんとなくずっと後ろめたさを感じいていた私がとっっっっても救われた奇跡のような言葉でした。
「誰にも迷惑かけてないじゃん」
今現在も、ずっとこの言葉に助けられています。
後で知ったのですが、彼女は自分の体臭がきついことで昔から悩んでる、とのことだった。しかも学生の時から。
それに比べたら、周りに迷惑かけてないし気にしなくていい、と。でも私は昔から彼女の体臭とか全く気にならなかったので、びっくりでした。
それからは、そっかー、別に悪くないんだ・・・たしかに害を与えるような迷惑はかけてないな!って思えるようになって、いろんなヘアスタイルのウィッグが楽しみになったりもしました。
基本めんどくさがりなので、そんなに着飾ったりとかはしないんですけどね。
30歳をすぎた今でも、一緒にいてラクになれる。
話してて変な緊張もしない、唯一の友達です。
在学中~卒業後
話は戻って学生時代。
当時は学校へ行きながら、とある大手出版社(今も存在している大きな会社)にスカウトされたのがきっかけで、とある作品を作る仕事をしてました。
いわゆる作家みたいなもんです。
もう黒歴史なので詳細は秘密です(´v`;)
その時はそれで一生それで食べていけたらな、なんて甘い考えを持ったりもしてた。
学校は問題なく卒業できて、その後しばらくは家で原稿を仕上げる日々。
たまに10円ハゲが出来ても、人目にバレない程度には髪の毛があったし、好きなことをして暮らしてました。
Eちゃんは遠~くの学校へ進学したので、特に会いたい人もいない。
家では、妹と口も利かない位仲が悪く(今は普通です)
親、親戚からは「お母さん1人で大変なんだから就職しなさい」と、会うたびに耳だこ。
この後2~3年ほど記憶がおぼろげで、あまり覚えていません。
相変わらず円形はあるけど、全体的に髪はありました。
病院には行かなかったのですが、ひきこもり→自分で気づかないうちに対人恐怖症→軽い鬱だったのではないかなと思います。
お仕事の依頼がなくなって、私自身のやる気やモチベも尽きて、なんとなくはじめたネトゲにのめり込み、ネトゲ中心のニート生活が1年くらい続いた翌年の2月。祖母が亡くなりました。
初めて身近な人の死に遭遇して、あんなにやってたネトゲすら手につかなくなる放心ぶり。
祖母のことが原因で、親戚の仲が悪くなりました。
でも49日が過ぎ、気づいたら・・・私またネトゲしてました。
ほんと、クズ人間。
ですが皮肉にも、その時やっていたネトゲで
偶然にもK君(あとに夫になる人)と出会っていたのです。
人生何があるかわからないなぁ
就職
祖母が生きている間に、一週間だけ働いたことがあります。
祖母の知り合いが紹介してくれた近所の小さな下請製作所で、自動車部品のライン作業でした。
5人くらいで1台の基盤?を組み立てる仕事。
指をよく使う仕事で、親指の付け根が痙攣しそうな痛さで嫌になる。
その上、最低賃金・サビ残・昼休みもご飯食べたらすぐ現場復帰するおばちゃん達に嫌気がさして即やめました。
紹介してくれたおばあちゃんには悪いことしたけど、さっさとやめてよかった。
2回目のチャレンジは、祖母が亡くなって一段落後。
母から「このまま歳とっても何も良いことが無い。いい加減仕事に就きなさい」と言われ、半ば強制的に自動車運転免許を取得。
(地方では、どこへ行くにも何をするにも、車無しでは生活できないのです)
免許取得後は、ハローワークに求職登録し、とある職に就きました。
働こうと思ったのは、親が早く働けとうるさかったのもありますが、ネトゲで使うお金が欲しいとか、オフ会に行きたいとか、好きなアーティストのライブに行きたいだとか、そういう不純な動機もあったからのような気がします。
私が選んだのは、母校の近くにあった、とある企業。
その企業を選んだ理由は、
1、時給が他より高かった
2、人と接する仕事だった
たったこれだけの理由。
合わなかったら「すぐやめればいっか☆」なんて、軽~い気持ちで入社したその会社で、今も働いてます。
【追記】後日、同棲~引越にあたり、退職しました。
年単位でひきこもりを経験し、人と話すのが苦手になっていたのでリハビリになればいいなぁと思って始めた仕事でしたが、未だに勝手の知らない人との会話では緊張して変な汗が出ます。
入社したての頃は、徹夜でネトゲして、そのまま早番で出勤したりと不健康ながらも若さ溢れる生活をしてました。
髪の方も問題なく、普通の人と同じ生活ができる幸せをかみしめていた頃でした。
再発
就職して数年後。
朝、枕元に抜け毛多いなぁと、ぼんやり思う。
お風呂で、髪を洗いながら、今日よく抜けるなぁと気づく。
手ぐしで髪を触った時に、指に絡まりながら一瞬で数本抜けている。
今でも覚えている、抜けた髪の量に背筋が凍る感じ。
嫌な予感はあたって、また、髪が抜けはじめました。
学校卒業してからは派手に抜けることも無く、茶色く染めてみたり、伸ばしてゴムで結んだりもできていたのに。
職場の人間関係は、前の職場に比べたら良好でした。
職務内容も基本的なことは覚えてしまえば問題は少なかったですが、小心者の私には、イレギュラーな事柄にプレッシャーを感じることが度々あり。
先輩上司のひと癖ある性格に精神的ストレスを受けることも多々。
冒頭でも言いましたが、その時は
円形が数か所だし、そのうち治るかな
仕事のストレスかな
って思ってました。
でもそれ以来、今もずっと生えてません。
最初何年かは頭だけだったけれど、眉毛、まつ毛、あとムダ毛(これは生えなくて逆に便利になった。笑)と全身の毛が次々に抜けていきました。
再発その後
誰かの言葉で「失ってから大事だったことに気づく」とは本当によく言ったのもので。
いや、私のようなことを言ってる言葉ではないのでしょうけれど。笑
いろんなことに気づく。
- まつ毛が無いと、目にほこりが入りやすく、痛い
- 鼻毛が無いと、花粉をほこりを吸いやすい、風邪もひきやすい
- 髪の毛が全体的になくなると、気温の変化に弱い。すぐのぼせて、すぐ冷える
- 髪が汗を吸わないので、汗の塊が顔に流れてくる
メリットは、お風呂で髪を洗ったり乾かさなくてもよくなったこと位?
あと、当然だけどカット代もかからない。
2017年に入ってから、頭の左側に部分的に生えたりはしてきてますが、伸びきる前に抜けてる気がする。
2018年くらいからまつ毛がまた生えてきました。
少しづつ、しかも上下に。
けれど、またいつか抜けるし、完治はしないだろうなと思っています。
欲しい所には生えてこないけど、なぜか顔の産毛やお腹のムダ毛なんかは生えてくるんですよねー・・・
病院について
社会人になって、再発した当初に何度か皮膚科に通院していました。現在は通ってません。
病院では、ドライアイスと漢方薬とミノキシジル外用など一般的なものを何度か。でも治る気がしなくて自然と行くのをやめました。
きっと精神的な物だろうなって、諦めてしまって・・・
色んな治療法をチャレンジしてる人を見かけると、すごいなぁって思います。
絶対治るなんて保証がない治療に、心折れずに通院できる気がしない・・・・。
例えば骨折なら、頑張れば治るからリハビリいく!って思えますけど(笑)
通っていた時は、出口のないトンネルにいる気分でした。
医療費もかかるし。
会社の健康診断で、診察をしてくれた先生に「本気で治したいと思うのなら、良い先生のいる病院を紹介しようか?」と言われたこともありました。
どこにあるのですか?と尋ねると2件教えていただけたのですが、近いところで片道車で4時間。遠い所は新幹線か飛行機じゃないと無理!って距離でした。
通うには遠すぎるし、諦めました。
そんなこんなでウィッグ生活
一番最初に買ったのは、百貨店に入っていたウィッグショップのショートウィッグ。
人毛ミックスの、直でかぶれるタイプで4万くらい。
当時の私には、車ローンとパソコンの次に大きい買い物でした。
今思うと高すぎ!って思うけど、当時は何も知らなかったので、それを買いました。
4万円もした割に3年も持たなかったな。
今はリネアストリアさんのウィッグを使っています。
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天使シリーズが軽くてお気に入り。
メンテナンスは、慣れかもしれませんが・・・毎日自分の髪を洗って乾かすよりめんどくさいです。
最初からスタイルセットされてるウィッグだと、かぶるだけなので楽。
部屋にウィッグスタンド置くのは、生首おいてるみたいで未だに慣れません。
部屋に入ってきた家族がそれを見て「ぉわぁっΣ(゚□゚;)」って変な声出してビビります。
脅かす気はないんだけど、なんかごめん。って思うよね。
コンプレックスとの向き合い方って人によってさまざまで、治療をどのくらいするとか、皆それぞれ違うと思います。
私は諦めるの早かった。
職場の上司も、友達も、周りが理解のある人ばっかりだったからかもしれない。
K君と知り合ってからは、もう一度いろんな検査したり、治療しようかなって思わないこともないですが・・・
なんかもう、いいかな、私はこのままでも。
受け入れてくれる人がいるし。
そんな感じで生きていけるようになりました。
不都合なことはいっぱいあるけど、私なんかより大変な人は沢山います。
また何か変化があったら更新しようかなと思います。
K君との関係については別の記事でお話ししてるので、興味がある方読んでください。