高校時代
「成績は良いけれど、欠席が多いから推薦は厳しい」という理由で、高校推薦入試を諦める。
一般入試を受け、地元で2番目の進学校へ進みました。
髪染、バイト、当時大流行だったルーズソックスは禁止の厳しい校則。
で、
高校に進学してもヘアバンドしてるわたし
正直めっちゃ浮いてた。
何も事情を知らない他のクラスの先生に、外せって怒られたこともあった。
中学の時の友達の内の一人とは、高校も学科も一緒(クラスは隣)でした。
私は小学校3年の時に、親の離婚の都合で一度転校しているのですが、高校ではその時の同級生とも再会したりで・・・
(年賀状等のやりとりは何回かあったけど、会ってはいなかった)
再会した友達「・・・なんでヘアバンドしてるの?」
そりゃ聞くよね。笑
校則違反って分かってても髪染めたり、怒られない程度に化粧したり、スカート短くしたりするような女子高校生の世界で、ダサダサのヘアバンドですもん。
つらくて学校に行けなくなりました。
興味があって自分で選んだ学科に進学したから、勉強はしたい。
でも、誰にも会いたくない。
友達に髪のことを話せないまま、毎日会うのが苦痛で。
中学の時と同じことを繰り返しました。
嫌われる前に
いじめられる前に
行くのやめよう
結論から言うと、そのときの友達全員に打ち明けられないまま今に至っています。
それ以降、連絡は取っていません。
知ってたけど黙って一緒にいてくれたんだと思う。
話しても、嫌われることは無かったと思う。
遅すぎるけど、今は、そう思える。
でも、当時のわたしは臆病で
怖くて、勇気がなくて言えなかった。
親が(出会い系とか詐欺の事件に敏感で)厳しくて携帯は持たせて貰えなかったので、担任や友達から家の電話に何回も連絡がきました。
一度も出なかった。
そのうち連絡も来なくなった。
そりゃね、別に私がいなくなったって友達は他にもいるだろうしね、とバカみたいに卑屈になって。
こうして私に友達はいなくなりました。
そのまま登校拒否を続け、単位も取れず、当然進級は出来なくなり、自分の学力で進級できる別の学校へ転入することにしました。
登校拒否中
家にいると、誰の目も気にせず済んで精神的にラクだったからなのか、症状の悪化はしませんでした。
むしろヘアバンドしなくても平気なまでに復活。
アップヘアにすると見えちゃうな~ってところに点々と円形が出来たりはしましたが、自分としてはだいぶ良くなったなぁと喜んでいました。
・・・それでも、外には出ない。苦笑
家では勉強したりゲームしたり自由に過ごして。
進級できなくてやめた学校が、地元では有名校だったし、公立だけど母子家庭の割にお金もかかってたので、親は全くいい顔しなかった。
このころから、何か文句を言われると「じゃあ何で普通に産んでくれなかったの!」などと親に当たったことが何回かありました。
まったく心に余裕が無かった。
せっかく制服・体育着・かばん・教材等、一から揃えて入学させたのに、1年も行かずに辞めてしまった最低な子供
そりゃ母も怒りますよね。
当時はお金を稼ぐ大変さもわからなかったし、その有難さに気づけなかった。
つづきます→ 脱毛症の転校~高校卒業後